運力を強化する方法とは?
当ブログでは、腸内フローラ・酵素・ミトコンドリアによって生命力を高める方法について述べています。
前回の記事では、「運力を鍛えて不運をやりすごす方法」について書きましたが、今回は「運力を強化する方法」について述べてみたいと思います。
ちなみに前回の記事で書いた「運力」というものについて、天外伺朗氏は『運力 あなたの人生はこれで決まる』のなかで「運力の法則」として以下のようにまとめています。
運力が強化され、ボトムを淡々とやり過ごすと、いずれ、ピークが到来する。そういう生き方を、「塞翁が馬」的な人生と呼ぶ。さしたる社会的成功は達成しないが、平穏無事な人生となる。
いっぽう、ボトムで必死に努力すると、ピークが高くなり、社会的成功につながる。そういうスタイルを「屈辱バネ」型の人生と呼ぶ。社会的成功は、ときに人間としての密を踏みはずすこともあるので要注意。(天外伺朗『運力 あなたの人生はこれで決まる』p102)
また前回の記事では、「運力を鍛えていく」とは、不運に直面しているという現実を直視し、否定せずに受け入れられるようになっていくことだと述べました。
しかし実は、「不運」を受け入れることに関して、このように言葉で言うのは簡単ですが、実際にそれを行なおうとするのは非常に難しいものなのです。
なぜなら私たちは物事に対して、いちいち「良い/悪い」と判断してしまいがちになるからです。
この「良い/悪い」という判断は、脳の「大脳新皮質」の部分に育っているもう一人の自分によってなされ、幼少時からなされてきた「しつけ」や「教育」が強く影響していると天外伺朗氏は言います。
じつは、「いい」とか「悪い」とかいう価値判断は、新皮質で行われます。その基準となるベースは、理性、倫理観、道徳観のようなものですが、それらは、教育やしつけで形成されてきた、いわば借りものです。
その価値判断が、批判や自己否定の源であり、不運を不運にしてしまう元凶です。つまり、運力という意味では、教育やしつけは逆効果なのです。厳しいしつけを受けて育ってきた人は、どうしても運力は弱い傾向があります。
しつけというのは、まともに社会生活を営むうえでは、どうしても必要なことなのですが、それにより、運力をそいでいることは注意を要します。(天外伺朗『運力 あなたの人生はこれで決まる』p122~123)
運力を強化していくためには「冷静」「客観的」「中立的」な視点をもつことが必要
普段、私たちは日常生活において、意識的にしろ、無意識的にしろ、「良い/悪い」や「好き/嫌い」といった判断をしてしまいますが、運力を強化していくためには物事を判断する際、「冷静」「客観的」「中立的」な視点をもつことが必要になってくるのです。
人間という生きものは、なかなか自分の視点から離れられるものではありません。いくら意識レベルで客観的になろうとしても、結局は、自分に都合がよい視点に固執してしまうのです。
本当の意味での、第三者の視点でものごとが見られるようになったら、もう運力はかなりついてきているでしょう。
(中略)
私たちは、幼少のころから、ものごとや行動に関して瞬時に「いい/悪い」の判断をするようしつけられてきました。また、そうしないと、日常生活はうまくいきません。
(中略)
つまり、「いい/悪い」の判断を脱却するということは、いま自分と思っている主体から自由に離れられることを意味しており、意識レベルでそう思ったからといって、できることではありません。
たとえば「中立的でなければいけない」と思うと、それを「いい」とし、そうではないことを「悪い」とする「いい/悪い」の呪縛にはまっており、結局、中立的ではなくなってしまうのです。
古い脳のもうひとりの自分は、ちょっとやそっとでは育ちません。運力の強化というのは、時間もかかり、一筋縄ではいかないのはそのためです。(天外伺朗『運力 あなたの人生はこれで決まる』p124~126)
運力を強化するための方法とは、冷静・客観的・中立的なもうひとりの自分を育てること
また天外伺朗氏は「運力の法則」として、「古い脳の無意識レベルに、冷静で、客観的で、中立的なもうひとりの自分が存在するようになると、運力は確実に強化される」と述べています。
このように、運力を強化するための方法とは、冷静・客観的・中立的なもうひとりの自分を育てることなのです。
(その中立的なもうひとりの自分を育て上げるためのの具体的な方法としては、仏教における禅やヴィッパサナー瞑想、Googleなどでも活用されているマインドフルネス瞑想などがありますが、この記事の主旨は「運力を強化する方法」についてですので、それらの中身ついては、この記事では触れないことにしたいと思います)。
そして、その冷静・客観的・中立的なもうひとりの自分を育てる上げるには、一歩一歩進んでいく地道な努力が必要になるのです。